あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
新年のご挨拶が遅くなりました。
今日は、とっても久しぶりに、ミュゼに行ってまいりました。今日が最終日の展示がありまして、これはどうしても観ておかなくては!と思っていたので、慌てて行って参りました。
「ビクトル・エリセ/アッバス・キアロスタミ」展です。
彼らの友情やら同い年であるということやら、作品に子供の目線が使われているという共通性(「ミツバチのささやき」と「友達のうちはどこ?」の抜粋を隣り合わせでおんなじスクリーン上に同時に流す、という私にはあまり感心できない研究成果?も披露されていたけれど)を語ることには、あまり意義がないじゃない!やっぱり。ということを、確認するための展示会であったなぁ、というのが簡単な感想かな。
でも、だからといって、展示会がつまらなかったわけではなく、とっても楽しかったのです。だって、エリセもキアロスタミも、私の大好きな映画作家です。面白くないわけがないのです。
彼ら二人の、「ビデオ版往復書簡」の上映、というのが、この展覧会のメインで、それがとても面白かったので私は続けて2回観てしまったのだけれど、この「往復書簡」はもちろん、彼らのプライベートなやり取りでは全然なく、はじめから観客に見られることを想定して作られているもの。
ここから、ネタバレも多々入ります。彼らの映像を新鮮に観たいという方は、読まないでくださいね
これをみるとまず、彼らの友情は、どちらかというと、エリセが、キアロスタミを、(というか「ともだちの家はどこ?」を) 発見してしまった!というところから始まったのだなぁ、ということが想像できる。そしてそれは、私たち、欧米、日本などの先進国の人間が、イランという未知の国の「ともだちの家はどこ?」というすばらしい映画を発見してしまった!という体験とまったく同じものであったので、ビデオレターの中でエリセのとる行為 (小学生たちに「ともだちの家はどこ?」のビデオを見せて、授業の教材として使う、スペインの羊飼いの男に、キアロスタミの撮ったイランの羊飼いの男の映像を見せる、など、自分の感動を他の人にも伝える、という行為)
にものすごく共感し、親近感を覚える。
対してキアロスタミは、「撮る」という行為への固執から逃れようとしない。そして彼が撮ってくるものは、息を呑むほど美しいのだ。(牛の肌、羊飼いの映像、雨の日の写真などなど、それはもう、本当に美しい! ああ、もっと良いプロジェクターで見たかった・・・。上の写真にある映像は、羊飼いの映像の一部が、展覧会会場外のパネルに使われていたのでカメラを向けたものです。)
エリセは、そこに物語を付け加える。彼がスペインのとある島からビンに入れて海に流したキアロスタミへの手紙は、この往復書簡を物語りに仕立てようというエリセの作戦だ。
答えるキアロスタミの映像のすばらしいこと!(イランの海の男たちのコメディー)彼は私たちが、未知の世界の物語を望んでいることをちゃんと知っているのだ。
あーなんだか中途半端だけれど、ここで息切れ。
もっとちゃんと頭の中を整理すれば、まともなレポートっぽくなりそうなんだけれどなぁ。
この往復書簡見た人と、お酒でも飲みながら熱く語り合いたいわ!
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